一生ボン・ジョヴィジョンを始めてみたとき、彼は宙を舞っていた!!あの、あまりにも有名な「LIVIN' ON A PRAYER」のビデオのワンシーンだ。「うわぁ、なんやこれ、飛んでるぅ〜、変な奴〜〜。」と、びっくりし、この世界には近寄らんとこうと心に誓ってしまった。 洋楽好きの姉の影響で、「ベストヒットUSA」というTV番組(小林克哉さん司会、覚えてる人いますか?)を時々、遠まき(笑)に見ていた私だったが、この番組を見て、BON JOVIというバンドを初めて知った。 第一印象は、ジョンはただの変な奴だったのだ。 時は少し流れて、1988年の暮れ。父の仕事の関係で、BON JOVI大阪城ホールのライブチケットが突然手に入った。もちろん、ロックのコンサートなんて行ったことがないし。乗り気の姉に引っ張られてあまり気のりはしなかったけど、見にいった。気乗りしなかったなんて、今でこそ信じられないけど。 1989年、1月6日。午後6:30開演。ステージにジョンが現われた。全員が総立ちだ。人の手と手の間からジョンがかろうじて見える。もの凄い音、熱気。そして、バンドのエネルギー。 圧倒された。。。世の中にこんな楽しいものがあったのか------------------!! と、思ってしまった。ホントのこというと、圧倒されすぎて、わけが分からないうちにライブは終わってしまったんだけど。ライブの間中、「みんなが手を上げるからジョンが見えないよー」とかなりうろたえてたし。その時、BON JOVIのアルバム、実は1枚も持ってなかったんだ。 なんとなく知ってた曲といえば、RUNNAWAYとか、YOU GIVE LOVE A BAD NAMEとか、もちろん、LIVIN' ON A PRAYERも。 生まれて初めてのロックのコンサート。初めはもうあんなの観に行かないと思った。でも日が経つに連れて、ROCKのパワーは私の中で熱いかたまりとして残り、気が付けばそれは日に日に大きなものになっていった。 心に強烈な印象を残したジョンの存在感が忘れられず、1週間ぐらいたってBON JOVIのCDを手にしている自分がいた。 それは、「LIVIN' ON A PRAYER」でのジョンの空飛ぶ姿をみて、「あの世界にはよりつかんとこう」と心に決めたはずの私の封印が解けた瞬間だったのかもしれなかった。 「NEW JERSEY」アルバムはここで述べる必要なんかないくらい凄いアルバムだった。かの伊藤政則氏に「10年経っても色褪せない傑作」と言わしめたのは、あまりにも有名な話だ。 すっかり、BON JOVIにハマってしまった私。 BON JOVIのことがもっと知りたくて、当時の人気音楽雑誌「ミュージックライフ」(いつ廃刊になったん?)を本屋で手にとった。立ち読みするのが、しんどくなって購入することに。 記事は、「BON JOVI、ソビエトを行く……」だった。そう、1989年は、モスクワ・ミュージック・ピース・フェスティバルが行われた年だった。このフェスには、モトリー・クルーや、オジー・オズボーン、スコーピオンズなどの当時のビッグネームのバンドが参加した。ペレストロイカ政策の一環として開かれたこのフェス後、ベルリンの壁が崩壊したことはロックを社会現象として語るときのキーワードともなっている。 その頃には、すっかりBON JOVIのファンと化していたので、食い入るように読み、そしてますますBON JOVIのファンになった。 ところが、それから少ししてBON JOVIは1番好きなバンドではなくなってしまった。JONがその年に結婚してしまったからだ。というのも大きいけど(笑)、それより、私は天のじゃくで、当時あんまりみんながBON JOVI、BON JOVIというのに、なんとなく同調したくなかったから。それに、SKID ROWがこの後、すぐデビューしたからでもある。 でも、BON JOVIのコンサートには毎回欠かさず行っている。やっぱり好きだし、何よりあんなに一緒に歌える曲を作れるバンドは他にない。ホントにJONの歌は素晴らしいと思う。 BON JOVIには、名曲も数多い。ライブパフォーマンスも最高だ。 結局、極端にのめりこまなかった分、息の長いファンでいられたということだろうか。 これからも、BON JOVIのライブには行くだろう。彼らが音楽を続ける限り。私に命がある限り。
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